12.アミューズミュージアム
訪問日 2012/10/20
訪問順 ㊽
入館料 1000円
交通費 530円
江戸東京博物館で時間を使ってしまい、近場へ。
浅草のアミューズミュージアムへ向かいます。
休日ということで信じられないくらい混んでいます(;´∀`)
スカイツリーも近いですね。
浅草寺、二天門すぐの場所にあるアミューズミュージアムです!
1階はおしゃれなお土産屋さんといった風情。
美術館は2階からです。
こちらは民俗学者、田中忠三郎氏蒐集品の美術館です。
主な展示は青森で受け継がれてきたボロです、なんと触ってもいいんです(´∀`*)
写真もとってもいいんです!!興奮!
HP見ると色々のっているんですけど、
綿花は気候が合わず、もともと日本ではあまり生産されていなかったんです。
特に人の出入りが少ない東北の山村では、綿は貴重なのもでした。
彼らが衣類に用いるのは、もっぱら自給できる麻だったのです。
現金収入も少なかったので、綿の布も買えなかったでしょうしね。
冬の寒さを防ぐために、衣類は不可欠。
大切な衣類にツギを当て、補強しながら長い間着用していたんですね。
それがボロと。
これが、私の想像以上にボロでした、ハイ。
これ、なんだと思ったらお布団。
カイマキ状のお布団なんですけど、素材は麻。
間に詰まっているのも綿じゃなくて麻のぼろ布なのですっごく重たい。
しかもひとり1枚じゃなくて2,3人で1枚だとか((((;゚Д゚))))
ものすごく汚そう、ノミとかシラミとか・・・
凄い生活だったんですね。
こちらはみんな大好きおパンツです。腰巻。
農作業中は下着はつけず、仕事を終えてから腰巻をつけた日常着に着替えたそうです。
下着すら継ぎ接ぎなんて(´;ω;`)
この裾の格子模様の木綿地はお洒落ゴコロの現れだそうです。
今日の消費社会について考えさせられますね。
仕事用の肌着にはメッシュ素材のものも。
あれですね、忍者のあみあみもこういうメッシュ素材なんでしょうね。
行商で入ってくるのは、都市の古着のさらに端切れ。
手のひら大の端切れでもたくさん持っているのは、
村の中でも余裕のあるものだけだったとか。ひゃー。
ファストファッションの対極をいっていますね。
当時は外から買うだけの現金収入がなく、
自給自足が原則だったのが大前提とはいえ、もったいない精神すごい。
このボロファッションですが、スタイルのいいマネキンが着ると、
コム・デ・ギャルソンの乞食ルックを彷彿とさせます。
藍の麻ズボンはジーンズっぽいし。
祝い事用背負子です。お見事。
祝い事は赤色を用いるのはどこから始まっているのでしょう。
埴輪とかにも赤の彩りをしていたりするので原始時代からなんですかね。
普通に考えると、赤は血の色、危険を知らせる色な気がします。
謝肉祭ということで獲物の色なんでしょうか。
こちらは縄文時代の衣装の再現。
明治の青森とあまり変わらないようにも感じます。
古民具の展示もあります。
こちらは犬革のコート(赤犬)、裕福な人の持ち物だったそうです。
一方、鮭の皮でつくったブーツもありました。アイヌにもありますね!
滑り止めのためにそこに思いっきりヒレがついています、潔い。
ボロとはうって変わって、刺し子です。
美しいです。とくに決まった意匠はないはずなので、
個々人が考えながら縫っていたと思うのですが、完成度高い。
麻に貴重な木綿糸や毛糸で刺繍をして防寒、装飾のための補強をほどこしたものです。
民族衣装の刺繍も貴重な布を補強したり、所属を表す意匠を入れたりしますが、
日本でもそういう刺繍があるんですよね、そうですよね。
着物の刺繍は装飾の役目が大きいけど、こういう実用ありきの刺繍もいいですよね!
そういえば、綿が手に入りにくいアフリカや中東では、
よくウールや羊皮を素材に使っているけれど、
日本では羊はいつごろ入ってきたんでしょう?やっぱり明治初期かしら?
十二支で羊もいるのに不思議な話です。
この間見た文化学園服飾博物館の展示、アフリカの民族衣装で
交易で手に入れた赤い絹地を縁飾りや裂き織りに使っていました。
自給できない素材は大切に大切に使われるんですね。
屋上は展望スペースになっています。
アミューズミュージアム
〒111-0032 東京都台東区浅草2丁目34番3号
TEL:03-5806-1181
ホームページ:http://www.amusemuseum.com